今から20年ほど前、歌舞伎町でカリスマホストとして君臨した香咲真也(以前ご登場いただいた実業家の手塚マキ氏と同世代)。現在はその名を捨て、本名の常田利幸として東京・中野や下北沢など直営店やフランチャイズ含めて15店舗もの焼き鳥居酒屋チェーン「十七番地」を経営しています。



現代ホスト業界においては年間売上を一億円超えするホストは複数名いますが、常田さんこそが22年前に年間売上1億円オーバーを記録した史上初の脅威のホストだったのでした。

常田さんが歌舞伎町を去り、下北沢の焼き鳥居酒屋に転身した当時はまだ30歳、ホストとして脂がのってきた頃でしょう。なぜ歌舞伎町ときっぱりと別れを告げ、まったく未経験の焼き鳥居酒屋を始めたのでしょうか。

人生のターニングポイントは誰にでもあるもの。彼は何を思ったのでしょうか。



――ホスト業界に入ったキッカケはなんだったのですか?
常田利幸(以下、常田)「家が貧しかったので幼い頃から安いながらも美味い飯を作って食べる工夫をしていて、ずっと料理の道に進みたかった。料理の専門学校に進みたいと親に頼み込んで入ったにも関わらず、卒業後すぐにホストになるという(笑)」

――なぜいきなりホストになろうと思ったのですか。
常田「専門学校に悪い友達がいて“儲けられるかわかんないけどやってみよーぜ”って。その時はあんまり考えず、じゃ、やってみよっかなみたいな感じですよ」

――女性の扱いに長けてたとか、モテてたとか男として自信があったからとか?
常田「全然! 女性と初めて付き合ったのも初体験も高三だったしめちゃくちゃ早熟でモテてもない。ホストになる前に女性に対し先入観や“俺はモテてる”という自信がありすぎると、それが邪魔して業績に残せない気がしますね」

――そうですか? それはなぜ?
常田「ホストは自分という商品をいかにお客様に売って、継続的に成果を出す管理職。女にモテる自信があると、停滞したり人気が出ないことに挫ける。何よりホストよりラクにモテる方法はいくらでもある。モテてる奴が入ってくる業界じゃない。モテること以上に野心のある奴が入ってくる業界だと思います」



――常田さんがカリスマホストと言われた所以は何だったのでしょうか。
常田「僕は1月に入店しその年の誕生月だった4月にNo.1になって、それを23カ月維持したっていうのが当時は凄いことだともて囃されました」

――No.1になるまでの努力とはどんなものだったでしょうか。
常田「当時は先輩の殴る蹴るは当たり前の世界だったけど、俺は絶対に成功するって気持ちで、最初はとにかくキャッチの日々(現在はキャッチ行為は禁止されています)。毎日毎日、三和銀行前に立ってました(三和銀行前=現在の歌舞伎町入口横のドン・キホーテ)」

――キャッチだけしてたってわけでもないですよね。
常田「はい。お店に来てもらうために“フリータイムで飲めるから”って自腹で女の子にお金を2000円渡し、とにかく来てもらう。当時そんなことしてたのは僕くらい。No.1になっても雪の日だってキャッチしてたから“No.1の香咲真也が立ってる”って女の子の方から声かけてきてくれたりね」

――お店に来てもらえない場合はどうしていたのですか。
常田「電話してよって俺の番号を教えても絶対にかけてきてくれない。だから番号を聞いてすぐにショートメールしてそこからやり取りをし、僕という商品を買いに来てくれるまで温めるという戦法ですね」



――どんなお客さんが多かったでしょうか。
常田「ソープランドのNo.1など風俗嬢が6割くらいで、その他は不動産とか車屋とかの女社長とかバリキャリ女性とか、資産家の女性とか」

――ソープランドのNo.1女性にどうやって来てもらうんですか?
常田「No.1を指名して120分6万円とか払って中で逆に女の子の肩を揉んだりビール飲みながら他愛もない話して何もしないで帰るんです。それで10回通って60万円、でも自分の店に一回来てくれて気に入って通ってくれたら何千万円になることもある。これは投資だと風俗店に営業に行っていましたね」

――でも結局はNo.1になるには何が一番大事なのでしょうか。
常田「誰よりも負けず嫌いかどうか。俺は絶対に諦めないって不屈の精神とでもいうんでしょうか。接客でいえば気配り目配り心配りがいかにできるかってところだと思います」

――現代ホストに思うことなどありますでしょうか。
常田「お酒を飲まないネオホストとかもいるそうで、守り入ってんなって感じちゃうけど、それが今の流行りなのかなって。俺にとっちゃホスト時代は過去の話で、これから交わることもない世界なので、それについてどうこうは思わない。でもマキ(手塚マキ)はあいつは頑張ってんなーって見てる。ホスト業界を変えようと頑張ってんだなって」



――その後、独立してお店を作ったのに、焼き鳥居酒屋に転身したのはなぜですか。
常田「20歳でホスト入りして26歳で独立、当時のホストブームに助けられ1店舗目までは調子良かった。テングになってたんですね、ブーム終焉なのに2店舗目を出し一気に急降下。焼き鳥屋をやろうと決断したのは30歳の時。ホスト時代に稼いだ5、6億円はメシだの酒だの水物でなくなり、残ってた600万円で「十七番池」一号店を作ったんです」

――ホスト業界で再起をかけるよりも、新たな道を選んだんですね。
常田「はい。未練はなかったし、また新たな勝負をかけようと」

――ホスト時代に得たもの、また失ったものはありますか?
常田「あの時があって今があるから、全ての経験は得たけど失ったとは思ってない。周囲は財産を失ったと見るかもしれないけど、俺自身は何も失ってない。またこれからだって5億でも6億でも、得られる仕事を俺はするって思ってますから」

――でも全く未経験の焼き鳥居酒屋を始めて苦労も多かったのでは。
常田「お客さんに怒られたこともありました。苦労の連続といえばそうだった。でもそれはどんな仕事でも同じこと。俺、負けず嫌いなので。意地でも成功させるつもりできましたよ」

――焼き鳥居酒屋未経験から直営店5店舗に増やせたのはどんな努力によるものですか?
常田「やっぱお店を全部自分で作ったのは俺の強みかなあ。最初の上北沢店もこの下北沢店も自ら大工仕事して俺が作ったんですよ。それで美味い酒を仕入れたり本当に美味しいものを提供するってことをしてたら増やせはする。でも屏風は広げれば広げるほど倒れやすくなる。全部自分で見るなら直営店は3店舗が限界です」

――増やしすぎも良くないんですね。
常田「そうですね。飲食は朝から仕入れて仕込んで仮眠して営業して、でも雨だ雪だ降ってお客様の出足が悪くなれば食材をダメにしてしまったり。それにも関わらず人件費や電気やガス代もかかるとなれば、全店の売り上げを上げること自体が難しいですからね」



――そもそも「十七番地」という店名の由来はなんだったのですか?
常田「最初の北沢店の不動産のオーナーの住所が17番地だったから、そこからとったんですけど。あとはまあ、十八番の前、十八番はまだ出さないみたいな、そんな意味も含めて」

――焼き鳥居酒屋を始めてから、女性観は何か変わりましたか?
常田「何も変わらない。まぁ、かっこいい女性がいなくなったかなって気はしてます」

――かっこいい女とは?
常田「お金をどーんと大きく使う女性(笑)。それができるだけの財力はもちろん、得るための知性も併せ持った女性ですね。まあ、それってお金のあるなしだけでなく、追わせてくれる、追いたくなる女性ってことなんですね。最近はそういう子が少ない気がします」

――追いたくなる女って…どんなですかね?
常田「まずお礼をちゃんと言える女性が少ない。奢ってもらってるのにきちんとお礼を言えない。例えば奢ってもらったお礼にハンカチでも缶コーヒーでもなんでもさり気ないお返しできる心がけ。そんな些細なことでも、お返しされたら男は追いたくなるものです」

――今後、チャレンジしたいことなどは?
常田「いろいろありますよ! いま、飲食店をやりたい人が全然いないからコンサルもやりたいしYouTuberもいいなあとか(笑)。実は今日も物件を見てきたと同時に動画も撮ったんですけど、何もない状態から作っていく過程を動画配信したらどうかって思ってまして」

――今後も飲食店でやられていくんですね。
常田「そうですね。まだ面白いから。いつか作りたいのはセンターステージ的にキッチンがあって、360度客席があって、鮪をさばくだとか肉を豪快に焼くとか食をエンタメっぽく楽しめるフードスタジアム的なお店ですね。でも本当にやりたいのは、不動産購入。建物を貸して黙っててもお金が入ってくる状態にして、正月は家でゆっくりしたいなぁ(笑)」

食は人を作る土台。酒はふと仕事を忘れ笑える瞬間をくれる明日の糧。「僕は自分の店でお客さんと会いたいから、毎日どっかしらの店に立っているんですよ」と常田さん。今日も常田さんは自分の店で包丁を握り、チューハイを作り、お客さんのお越しを待っています。



●取材は以下店舗で行わせていただきました。

十七番地 下北沢店
住所:〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 鈴なり横町1F
電話:03-3465-8899
定休日:日曜日
OPEN:18:00~3:00
Access:下北沢駅徒歩5分

●居酒屋「十七番地」HP
http://www.17banchi.jp/

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