世界最高齢のAV女優、小笠原祐子さんのロングインタビュー、第二回目は生い立ちから結婚、出産、現在に至るまでのお話です。

――そもそも小笠原ママはどちらの生まれなのでしょうか。
小笠原「父は山形出身で母は神奈川県の大和市出身。父が保険屋さんで転勤族だったので、生まれた時は山形でしたけど、それ以降は日本全国を縦横無尽に引っ越していました。小中高と常に引越ししてたから、入った学校と出る学校が全部違う少女時代を過ごしました」


小笠原ママの自宅にはパパの写真がたくさん! 
「今でもこの世で一番愛した男はパパだけよ」とか


――戦争時代は小学生だったわけですね。
小笠原「はい。ちょうど山形の鶴岡に住んでいたから、集団疎開はせずにその場で住んでて。空襲で遠くの空が明るいのを見たことはあるけど、私が体験したことはなかった。毎日のように東京方面に向かうB29は見てて、あの“グォーーン”って音は未だ耳に焼き付いてる。すいとんばかり食べてたけど白米も食べられる日もあったし食べ物には困りませんでした」


左は昭和17年に小笠原さんが小学校入学の時に撮ったもの。


右は昭和13年におじさんが出征した時に撮った記念写真だとか

――戦中とはいえ、ひもじい思いはあまりしていなかったわけですね。
小笠原「そうね。すいとんは飽きるほど食べたのでもう食べたくないなあくらいなもので、戦中といっても機銃掃射に合うこともなかったし、空襲にも合わなかったから、住んでいた場所により大きく人の運命が変わった時代だったかもしれないわね」

――戦後、ママはどのように生きたのですか?
小笠原「大学は大妻女子大学に通って、卒業後は小西六写真工業株式会社(現、コニカ株式会社)に入社しました。そこでは写真モデルをやったりもしていたのよ。入社間もなくして保険屋をやっていた父が亡くなり、その保険の書類とかを色々とやってくれたのが、父と同じ会社に勤めていた、後に結婚したパパね」

――パパとは恋愛結婚だったのですか?
小笠原「そうね。パパは京都大学のアメフト部で関西学院大学と競って優勝した年のメンバーだったのよ。背も高いし体型もガッシリして、結婚するならこの人しかいないって感じだったわ。結婚したのは私が23歳でパパが24歳の時ね」




――その後、ずっと専業主婦だったのですか?
小笠原「はい。パパが“僕は一生懸命お金を稼いでくるから、ママは子供を育ててね”って人だったので専業主婦でした。うちは実家が転勤族だったでしょ、それでパパも保険屋で転勤族だったから、母からも一緒に動きなさいと。単身赴任は一切させませんでした」

――そういう暮らしは窮屈ではなかったですか。
小笠原「結婚したらそういうものだと思っていたからね。パパは私を外に出させなかったし、毎日必ず夕方18時半に帰ってくるからご飯の支度も毎日してたし、窮屈だなんて感じる間もなかったわね。タバコも吸うわ呑んべえだったから毎日飲むわで“たまには外で飲んできて”と言っても“嫌だ、ママが作った飯がいい”って」

――しかもセックスも毎日あって。
小笠原「そうよ。新婚当時なんて朝の起きがけに1回、出勤前に1回、帰ってすぐに1回、寝る前に1回って一日4回が当たり前だったし」

――まだ性が開放的でない時代もママが性欲を満たす術はパパとのセックスだったと。
小笠原「そうね。こちらが求めるでもなく向こうから毎日なわけだから、性欲を満たすだなんて意識もなければ、ましてや欲求不満だなんてことになることもなかった。今の時代の男と女は大して信頼関係も築いてもないのに肉体関係になっちゃって、なんでそんなにすぐヤっちゃうのかしらって思うわよ」

――確かに…。でもちなみに、パパは浮気などもしなかったんですかね?
小笠原「そんなの疑わないし知らないよ。当時は気にしたこともなかったね。毎日かっちり同じ時間に帰ってくるんだから、他の女と遊ぶ時間なんてあったかしらねえ?」

――でも、そんなパパだからこそ、59歳という若さで先立たれた時はショックでしたよね。
小笠原「そうだね、1年2ヶ月入院してたけど、私も一緒に病院の個室で入院して看病してました。それで亡くなる年の1月に“ママ、俺は3月3日に死ぬよ”って言うのよ。亡くなる3日前に、その時はすでに声も出せないし起き上がるのも辛いような状況だったんだけど“本当に可愛い女房だったね”としっかりした筆跡でメモに書いて渡してきてね」



――涙が出ます…。パパが亡くなった後、どうやって立ち直ったんですか?
小笠原「母と一緒に旅行したし、散々、飲み歩きました! これ見よがしにガンガン飲んで、スナックを経営したのよ。店を出した時は周囲の店のママたちから「ど素人がやれるわけないでしょ、すぐ潰れるわ」なんて言われたけどちゃんと7年間やりましたからね。その店には近くのイケメンの男子大学生たちも来てくれたし、それはそれは楽しい毎日でした」

――さすがです! でも当時はママも58歳なわけだし、彼氏の一人や二人もいたのでは?
小笠原「彼氏はいたよ。その当時、まだ大学生だった子と60歳くらいから14年付き合ったかなあ。その子とはスナック経営する前の飲み歩いてた時にお店で出会ったんだけどね。彼とはいろんな所にデートした。旅行も行ったし、楽しかったね。あれが若さの秘訣だね」

――すみません、その大学生の彼氏とは体の関係は。
小笠原「あるわけないじゃん! その子の男友達から“ママ、あいつはチ●コ小さいよ”って聞いてたし、そんな小さいの見たくない。キスだってないよ。一年間くらいは彼の学費を払ってあげたりもしたけど、まあ、若いツバメを育ててあげたって感覚だよ」

――じゃあ、パパが亡くなるまで、誰とも肉体関係はなしで?
小笠原「ないない! 私はね、セックス欲ってないの。パパと何千回としたからねえ」

――ということは、AVデビュー時に20年ぶりくらいでセックスをしたと?
小笠原「そうだよ。デビューするまでパパしか知らなかった。だからAVデビューして経験した今になって、パパにもこうしてあげれば良かった、って思い返すことはありますよ」

――今でもパパ一筋なんですね…。健康に長生きする秘訣はなんですか?
小笠原「それはもう若い男と付き合うことですよ。何もセックスするだけが全てじゃない。彼らと話したり、いろんな所に出かけたり、たまに撮影でセックスしてれば十分だよ」

――現代の男と女に物申したいことはございますかね。
小笠原「今は男もすね毛を剃ったりするらしいけど、私は好かない。毛を剃ったら男らしさが半減しちゃう。そんな風に男がどんどん女みたくなる中で、女がバカ強くなって男の言うこと聞かないだろう? 男をバカにしたりしちゃってさ。本当に頭のいい女っていうのは男をバカになんかしないものだよ」

――でも、女も強くあれというような風潮はある気がしますね。
小笠原「女は優しくないとダメよ。人と会ったら挨拶に始まり挨拶に終わって、何事も前向きに余計なことは考えないでね。男が魅力を感じる女でいなきゃ。男を優しく迎え入れて、守ってあげたいって男が思えるような女でいないと。自分自身は強く、表面は優しく。そういう芯のある優しさを持った女がいない気がするね」

――最後にこのサイトを見る女性にメッセージをくださいませんか。
小笠原「やっぱり私が83年も曲がりなくやってこれたのは人生を真面目にやってきたから。とくに結婚してからの35年間は夫と子供と家族を守るために、専業主婦としてやるべきことをやってきたからなの。今の時代は共働きが当たり前なのかもしれないけど、本当は女は子の手がかかる数年間の間はせめて育児と家事に集中し、男はそれを当たり前と思わずに感謝して、お互いを労わりあって手と手を取り合い暮らしていくのが一番!」

――いい男が見つからないって嘆く女性も多いのですが。
小笠原「うまくいく時もあれば、いかない時もあるのが人生で、あんまり幸福だ不幸だなんて騒がないの。自然の流れに身を委ねちゃった方がいいの。しょせん人問の力ではどうしようもないことはあるんだからね。いい男は必ず現れるから、変に騒がないことよ」

京大出身のエリート保険幹部職員の男を捕まえたママだからこそ“全ての女に言いたいのは、甲斐性のある男を見る目を養いなさいってこと!”という言葉には重みがあります。83歳になった今でも乾き知らずの小笠原さん。健康の秘訣はやっぱり“死ぬまでセックス!”見習いたいものですね。

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