デビュー11年目、不動の人気を誇るAV女優、波多野結衣。特にアジア圏ではモデルのリン・チーリンに似ていると話題になったことから始まり、アダルトとは無関係の清涼飲料水のCMや一般映画への出演オファーが入るほどの知名度と人気を誇り“世界のハタノ”の異名を持つ。世界のハタノのブレイク前夜から令和時代に何を目指すかまでを語りました。


――デビューのキッカケは何だったのですか?

波多野結衣(以下、波多野) もともと高校生の時からグラドルに憧れてたんですけど叶わず、高校卒業後は美容系の専門学校に進学したんです。それで卒業間近のタイミングでスカウトされたんですが、その人はキャバクラのスカウトマンだったので無視してたんです。でも、偶然にも同じ人と何度か遭遇するうちに仲良くなって。それでご飯を食べに行った時、グラドルの夢の話をしたんです。

――グラドルの夢を話していたのに、どうしてAVへ?

波多野 「こういう仕事もあるよ」とAVを紹介され、「AVで有名になればグラビア撮影もできるようになる」と言われて、すごく期待感が高まったんです。これはチャンスかもしれない、と。


――でもAVで自分の裸やセックスを晒すことに抵抗はなかったのですか。

波多野 全くなかったわけじゃないですが、有名になりたいし、お金も欲しいしと興味の方が勝ったというか。裸になって恥ずかしいくらいで、あまり深く考えなかったんですよねー。若いって恐ろしいですね(笑)。

――じゃあ、デビューしてからも後悔もなく楽しめた?

波多野 いやー。それがAVに出て一年くらいで親とかにバレちゃったりして、わりと早い段階で「いつ辞めようか」って思ってました。当時はまだ上京してなくて関西の地元に住んでて、月1、2回の撮影のために上京してたんですけど、まったく楽しくなくて。でも当時は無職のダメ男と同棲していたので、私が稼がないとならず、もう淡々と仕事をしていくしかないって感じでした。

――ダメ男の話は次週に伺うとして、ご自身のブレイクのキッカケは何だと?

波多野 2010年に出させていただいた『あなた、許して…。-すがられて、犯されて- 波多野結衣』(アタッカーズ)は今も続く人気のシリーズなんですが、その1本目に出させていただきかなり売れたんです。それまで月1本撮影くらいのペースだったのが、その翌年、さらに次の年とどんどんオファーが増え、2014年には「スカパー!アダルト放送大賞」で二つの賞をいただいてからさらに激増したって感じですね。その後、人気シリーズの『波多野結衣の凄テクを我慢できれば生★中出しSEX!』(ワンズファクトリー)や『スペンス乳腺クリニック』(OPPAI)の記念すべき1本目に出させていただいて好評だったのも、私はいい作品に恵まれて、運が良かったのだと思います。

――最も忙しい時には一ヶ月でどのくらいの撮影を?

波多野 2014年と2015年の二年間はひと月で最高25現場あったことも。毎日ひたすらセックスしてて常に眠かった。顔もボロボロだし免疫が下がってすぐ風邪引いたり、体力的にもキツくて。パッケージ撮影中に眠すぎて仮眠させてもらったりしてなんとか凌いでました。

――そんなに現場続きでアソコを酷使し、痛くなったりとかは?

波多野 幸いアソコが痛くなることは一度もありませんでした。私は単純に昔から性欲大魔王で性欲が強かったので、セックスが辛かったことは一度もないんですよ。本当に体力的にキツかったのは睡眠不足くらい。

――体力はもちろん精神的にもキツかったのでは。

波多野 はい。発熱しながら撮影をしてた時、辛くてシャワールームでこっそり泣いたりとかもありました。


――なんと…! 他にはどんなことが精神的にキツかったですか?

波多野 ちょっとした不安に怯えてました。周りの発言が気になったり、私の作品へのファンのマイナス的な書き込みをネットで見かけると、いちいち落ち込んだり。あと、いつか仕事がなくなるんじゃないかという強迫観念に陥ったり。

――忙しく働きながら、仕事がなくなる不安にも怯えるとは!

波多野 先ほど言ったダメ男は仕事が長続きせず常にお金がなかったので、養わなきゃならなかったので(笑)。でもある時、突然フラれ、貯金すら残ってないことに愕然として。これからは誰かのためじゃなく自分のために仕事を頑張ろう、と目が覚めましたね。

――目覚めてくれて良かったです…。波多野さんといえばアジア圏での人気も絶大ですが、このキッカケはなんだったのでしょう?

波多野 アジアの中でも特に台湾の皆さんからはすごく大切にしてもらっています。それが「台湾の人気女優リン・チーリンさんと私が似てる」と話題になったのがキッカケです。そしてその後、2011年の東日本大震災の津波で、私が死んだ説が出たというか、実際にニュース記事になったりもして。

――それは一体どういうことですか?

波多野 どうやら震災に遭われた同姓同名の方がいらっしゃったらしく、それが台湾で騒ぎになり、事務所に生存確認の電話が殺到したんです。そこで私がTwitterを更新したら、現地で「波多野が生きてる!」と、さらに盛り上がって。
――そこから、台湾でのどんな活動に繋がったのですか?

波多野 写真集を出させていただいたり、清涼飲料水のCMに出たり、台湾版Suica「悠遊カード」の特別版のモデルに抜擢されたり。しかも私の写真集がコンビニで売られているのを見た時はたまげました。私が台湾の空港に降り立つと、毎回ファンが出迎えてくれたり。台湾では私をアイドルやモデル扱いをして下さっているため、裸仕事は一切していないんですよ。
――それはすごい。今年で女優歴11年目ということで、体力や気力維持はどうしているのか、また、その秘訣は?

波多野 まず第一に人間の体力と気力維持で最も大事なのは睡眠ですね! そして嫌なことは寝て忘れること! もともと大らかな性格で根に持たないので、まったりと続けられるのかもしれません。

――でも、次々と新しい女優が誕生する中で、不安や焦りは?

波多野 かつてはありました。ファン離れとかにすごく敏感で神経質だったし、私のイベントに来ていたファンの方が別の女優さんのイベントにも来ていたことを知ると焦ったり。でも、今では「私のことを好きでいてくれる人」をとにかく大事にしようと。たとえ他の子のイベントに行っていたとしても、私のイベントに来ている時は精一杯大事にしようと思えるようになったんです。

――だんだん気持ちを楽にできるようになったんですね。

波多野 はい、今は非常に充実してます。撮影ペースも月5〜10本でイベントやプライベートでの遊びなど色々と楽しめているのがいいですね。なによりも撮影をすごく楽しめていますから!


“今が一番幸せ”と語る波多野さん。次週はかつてのダメ男との恋模様やAV女優になってからのデメリットとメリットなどについて聞いちゃいました。




取材・文=河合桃子 カメラマン=町屋ヒロオ

波多野結衣
1988年5月24日生まれ。
身長163㎝B88W59H89。
Twitter【@hatano_yui

“【AV女優、波多野結衣インタビュー・前編】デビュー4年目のブレイク秘話からダメ男遍歴まで語ります” への2件のフィードバック

  1. ATSUSHI より:

    やっぱはたちゃんは“世界のハタノ”やぁ~そ👏🏻👏🏻👏🏻⁎ᵕᴗᵕ⁎)💖

  2. 生田拓也 より:

    インタビューがみれてよかった。です。
    面白かったです。^_^

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